倉敷市藤戸町の天城整骨院・院長プロフィールです。患者様ひとりひとりと向き合い、より良い治療となるよう努めます。

倉敷市藤戸町の天城整骨院
お気軽にお問い合わせください

天城整骨院・院長プロフィール

天城整骨院 院長今行
天城整骨院 院長 
今行 慎二(いまゆき しんじ)

取得資格 柔道整復師 2級建築士

経歴 天理高等学校 卒業
   中部大学工学部工業物理学科 卒業
   岡山理科大学専門学校 建築学科 卒業
   朝日医療専門学校 柔道整復師学科 卒業

MY HISTORY ~かけっこだけは一番~

岡山県倉敷市に生まれた私は、小さいころから活発で、じっとしてない性格だったようです。保育園の入園式早々母親が目を離したすきに勝手にジャングルジムに上って落ちていて……(笑)

小学校では勉強はさっぱりでしたが、運動神経は抜群で走るのが速く、リレーでは常にアンカーでした。

幼少期
少年期

小学校5年生まで勉強の仕方がよくわかっておらず、成績表は、体育以外は全く駄目で、あまりの成績悪さから6年生のとき母親が心配して塾を探してくれて通い始めました。

ここで、たまたま良い先生に巡り合いました。恥ずかしいことに、6年生から1年生の1+1からやり直し勉強し、1年間猛勉強し、小学校の卒業の頃には、勉強が楽しくて仕方ないほどに。中学に入ってからもよく勉強しました。

少年期02

高校の進路を決める頃には成績も上位になり、そのころ野球や柔道で有名だった天理高校に興味を持ち、かっこいいからと軽い気持ちで受けてみたら合格。

その当時、県外の高校に進学する友達もいなくて、これはかっこいいと入学を決めました。
これが災難の始まりで……

ラグビー漬けの高校時代、勉強漬けの大学時代

入学して、足も速かったので、かっこいいからとなんとなくラグビー部へ。

実は、天理高校のラグビー部は超名門校。何も知らずに入学したら、チームは県大会優勝が当たり前、全国大会優勝が目標、先輩ものちに日本代表に選ばれるという凄いレベル……。そのため練習のきつさは半端ではなく、上下関係のきびしさも大変……おまけに寮生活と。

ラグビーを経験したことのない私にとっては、今考えると本当に地獄でした。
ラグビー部やめたら、なんとなく学校もやめなぁアカンかなぁという環境だったので我慢強かったのか、卒業まで続けることが出来ました。

青年期

その後、3年間頑張ったからかスポーツ推薦で大学へ、なぜか文系だったのに工学部へ進学、「お前はこの学部受けろ」「ハイ」と先生に言われるままにスポーツ推薦で入りやすい学科へ。

この大学4年間がまた大変で高校で勉強全然してこなかった上、文系なのになぜか理系。しかも、スポーツだけしておけば卒業させてくれるかなと思っていたら甘かった。授業は基本が出来ていないためサッパリ駄目。

入学当初実力試験で最下位(たぶん絶対)になりこれは卒業できないと思った私は、それから、エンジン全開で猛勉強。全講義は全て一番前の席で受け、ひたすら先生に頑張ってますオーラを出し。試験はあらゆる手を使って過去問を探し出し、周りの友達にも助けられ、4年次は頑張った成果で、成績も学部で10番以内(確か7位)になり大学院の進学も勧められました。

しかし、元々卒業のためにひたすら勉強しただけで、興味のある分野の学部ではなかったので、院の話も断り、なんとなく岡山の会社に就職しました。

今考えると勿体ない話ですが、給料もそこそこ良く、周りの先輩方にも恵まれ最高の環境だったのですが、若気の至りで「こんな楽な仕事なんてやりがいがない!」と思い、半年で退職、もう一度役に立つ専門的な力をつけようと岡山の建築専門学校の夜間へ進学、2級建築士、宅地建物取扱主任者の資格をとり、住宅や店舗の設計や施工をメインにしている工務店に就職しました。

きついけどやりがいのある仕事で思い切り打ち込みました、しかし、やはり高校、大学とラグビーをしていた事から、どこかでスポーツに関わりたいと思いが常にありました、ラグビー時代に散々けがをして整骨院の先生にお世話になった経験から、同じようにけがをした人たちを少しでもケアをすることができればと思い、昼間は仕事を続けながら岡山にある朝日医療専門学校の夜間に入りました。

夕方5時半までは住宅の仕事、6時から9時まで学校で勉強、また、会社に帰り夜中の2時ぐらいまで仕事と睡眠時間は4時間程度の日々3年間を送りました。

この期間が一番大変でした。学校の友達も時々そんなに頑張ってたら、過労死するよと心配してくれるほどでした。

今考えるとよくやったなぁとも思えますが、これはラグビー部で鍛えられたおかげです。

無事、専門学校を3年間で卒業し、国家試験にも合格し資格もとりました、平日はそのまま住宅の仕事をしながら、土日祝日は整骨院という両方の仕事を5年間続けました。

こんな治療院があったらいいなと思えるカタチを探して

働かせていただいた整骨院は、多くのスタッフを雇い、15分ほどマッサージをして次は電気、ウォーターベットという最近の整骨院・接骨院に多い治療スタイルの形をとっていました。

痛みが強い患者さんが来ても、一人に施術する時間は決められ、基本は全体をマッサージする手技をスタッフで統一しているため、本来してあげるべき治療ができる環境にはなく。

「なにか自分がイメージしていた治療とは違う」と違和感を覚え、このままだといけないという思いが強くなりました。

院内の勉強をしながら、自分自身で全国各地でのセミナー・勉強会へ積極的に参加したり、他の整骨院も見学や自分自身が患者さんとして施術を受けたりして、自分の目指しているものを探し続けました。

セミナーでは各地で治療する志を同じくする先生方と出会い、多くのことを学ばせてもらいました。一人一人の患者さんに向き合う事の大切さを実感し、私の治療スタイルが確立してきました。

藤戸町天城という場所で開業するという意味

私は、母方の祖父にものすごくかわいがられて育ちました。特に、孫の中で男が私一人だったこともあり、小さい頃に色々な所に遊びに連れて行ってもらったものです。

そんなに可愛がってもらっていたのですが、高校から県外に出たこと、思春期になったことからか祖父に会い行くこともほとんどなくなりました。なんで行かなかったんだろうと思いますが、祖父はずっと私の事を気にかけてくれており、自分の仕事を模索する私を応援してくれていたと母から聞かされていました。

数年前に祖父はなくなり、祖母から整骨院するなら天城の自宅を改装してしてみたらと言われ、祖父にお世話になったこの地で整骨院をする事に意味があるのではないか、ここで自分が患者さんにできる医療をしてみようと思い2015年9月に倉敷市藤戸町天城に開業、現在にいたります。

院長ブログ

倉敷市藤戸町の天城整骨院
天城整骨院までお気軽にお問い合わせください